日和佐のちょうさが志和岐へ行ったという件で、志和岐のかき太鼓の唄の資料を入手しました。
ざっと目を通してみますと、けっこう新しい感じの歌詞でしたφ(..)
但し書きに、即興で歌うこともあると書いてあるので、たぶん「さーしましょう♪」以外の部分はそれほど意味はないのかもしれません。
大阪によくある、「べーらべーら」の唄が浄瑠璃くずしで適当なのと同じなのかな?
さておき気になるのは、歌い出しの前の
まかせ・・・まかせ・・・
ちょおせ・・・どんでんどん
という部分が、伊座利の太鼓唄に似ていませんかね。
伊座利のたいこ(太鼓台)。その?:南新桜より
ちょっと調べれば同じ美波町だからわかりそうなものなのですが、それができない理由として、
- 祭りの日が同じ
- 動画や写真がアップされない
ということが、最大の原因であると思います。1はしょうがないとしても、ネットで調べて写真とか動画一つ出てこないのは、後世に残すという意味では残念であると思いますm(__)m
そんなこんなで見えてくるものは、日和佐からの二次的伝播で始まったであろう志和岐の祭りは、お隣の伊座利をベースに日和佐が乗っかっているイメージ。
志和岐の太鼓は、大正末期から昭和初期頃に日和佐からやってきましたが、大正初期の伊座利の雰囲気でやっているので、挟み撃ちの二次的伝播なのかなぁと勝手に想像しているわけです。
ゆえに、日和佐からやってきたのに色キチだったりするのは、伊座利の影響でしょうか?
伊座利の太鼓は、色キチだったのがいつしか源氏をイメージして赤になり、しばしの休止後、『海部の民俗芸能フェスティバル(2012年11月25日)』への出場がきっかけで色キチ(5色)に戻ったとか。
唄にもそのことが扱われていて、赤と白の水引と幕の関係ではないというのが、おもしろいところだと思います。
結論としては、まだまだ歴史が浅いので、本気になればいくらでも情報がポロッと出てきそうな気がして、役場の支部の方とか、情報提供を呼びかけてもらえないかな〜?と思ったり(汗
