このブログを継続して見ていただいている方は、ご存知だと思いますが、志和岐のちょうさのお話し。
大正末期から昭和初期頃に日和佐からやってきたそうですが、どの町から来たのかは不明で、当時を知る方は、亡くなったり、出て行ったり、ボケてたりと、けっこうな謎になりつつあります。
屋台を見に行こうにも、運行するのは日和佐八幡神社の秋祭りと同日で、時間的に隔離されている感じ(-_-;)
そこで今年は、知人に撮影を頼んでみました!
まずは、下の動画をご覧ください。(※途中、音飛びご注意くださいm(__)m)
おそらく日和佐の方は、ほとんどご存じないのではないでしょうか。
くわしくは「お休みと、これからのこと」に書きました
太鼓は色キチで、けっこうだら〜んとした雰囲気です。水引幕もだら〜んとしていて、かき棒は竹。
揺さぶると、しなるような動きが独特です。
足回りは交換したのか、日和佐からきたわりには、けっこう背が高い印象。
彫刻は見事なもので、雲板にまであります。形の雰囲気としては、奥河と似ていると思います。
隠し額はありません。
そして、驚いたことに、阿波の伝統文化を研究している大学の某教授は、「志和岐のちょうさは本当にふとんが乗っている」とのことだったのですが、中心は、日和佐と同じ筋交い上の空洞。
木枠に布を巻き付けるタイプなので、だら〜んとしているのは、しっかり組める人がいないのかも(汗
ふとん台の天井部分に欄間でもあったかのような形跡があるので、日和佐でいうと、戎町・奥河町・西町・戎濱に似ていると思います。
ふとんは、四柱とは結ばないようです。
→他の写真
全方位からまじまじ確認できる写真はないのですが、彫刻は、玄武とか青龍、白虎っぽいものが彫られているので、四獣がテーマなのかもしれませんが、方角が合わないのも謎であります。
まとめますと、古きよき、試行錯誤して発展していく前の、大阪型の原型が見られるわけで、そういう雰囲気を好む町から譲り受けたのかな?
などと思いつつ、問答無用でモデルチェンジしてしまうケースも鑑みると、どこの町から行っていてもおかしくないような、そんな感じで、もう少し調べてみたいと思います(`・ω・´)ゞ
志和岐のちょうさについて、何かご存知の方いらっしゃいましたら、ぜひご一報くださいませm(__)m



