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太鼓台は宇宙山なのか?!

 太鼓台は宇宙山。

 などと壮大なことを神戸芸術工科大学(アジアン・デザイン研究所)の論文にかかれているという紹介をうけて、ちょっくら読んでみましたよ。

 すみませんm(__)m
 感想は、(´ヘ`;)ウーム…といった具合で、調べすぎて恐ろしくこじつけ感が満載な内容にたじたじ。

 いろいろと説はあるんだろうけど、無理やりアジアとか宇宙と結びつけたりして、何か大事なことを忘れてはいませんかね。
 太鼓台がカミの依代であるとか雨乞いの道具であったという理解は同じなのですが、そこには一神教の神とか仏という存在が中心にあって、まったく日本的な神事の道具として捉えられていないんですよね〜。
 ここは八百万の国であるぞよ!

 だからか、太鼓台を古代インドの世界観の中でそびえる山・須弥山(しゅみせん)といってみたり、山鉾を宇宙樹、臨時の依代である神籬(ひもろぎ)を横文字のアジアンテイストにしてみたりで、おのず、「生命樹」とか「宇宙樹」という結論に。

 いやいや、太鼓台は、稲作的な意味合いで田んぼを連想する方が、日本的でありましょう。
 だからニニギノミコト天孫降臨の地である宮崎で四つ太鼓が始まったのではないですかね。

 しかし、論文には、神社とか神道の成り立ちがすっぽり抜けていたりして、あえて言うならば、形而上学に与しすぎなのが、そこはかとない違和感の正体であるのかもしれません。「道徳→宗教→形而上学」という一歩手前で踏みとどまる健全な精神が置き去りにされていて、やれアジア々々と繋いでいく手法に権威主義がぷんぷんであります。

 なにせ、太鼓屋台文化圏としては、一番中途半端であろう瀬戸内のそれをベースに、インドやイランに逆回転したところで、そりゃあ、文明の終着点である日本とは通ずるものはあるでしょう。
 それをあたかも新発見のように無理やりこじつけて「宇宙だ!」という結論になると、日本的な感覚や叡智でもって論じられているのかと心配になったりならなかったり(-_-)
 おまけに、全ての太鼓台は仲間だと言いつつ、確信はないが須弥山だという曖昧さの中には、稲作の藁を積み上げるというイメージがどこにもないじゃないですか( ̄□ ̄;)!!

 これを書いている人の結論としましては、讃岐系ちょうさの言い分とたいして変わらない説だと思った次第で。←関係者の方、怒らないでね☆彡

 おわり。