毎度ながら書いているのですが、おもしろいもので、日和佐のちょうさ(布団太鼓)は“大阪型”と“堺型”が混じったような形態をしております。
明確に「型」を断定することはできないのですが、その特徴から限りなく大阪型であるとか、限りなく堺型というふうに勝手に呼んでおります。なので、あまり真に受けないようお願い申し上げつつ、堺型の特徴である“通し柱”の補足を少し。
堺型の大きな特徴としましては、四柱が下(地面)まで通っているということです。
(掲載:祭道楽のだんじり見聞録!)
しかし、ここでミスリードしてしまいそうなのは、日和佐のちょうさが海に入ることが前提で組まれているということであります。
海に入る。すなわち、海水に浸かるために、海に入らない他の地域の屋台よりも痛みが激しく、勾欄(こうらん)から下の部分を頻繁に改修、新調してきたため、堺型特有の通し柱であるかどうかの判断がしにくくなっていると思います。
図にもあるように、堺型の柱は、縁束(えんずか)と一体化してしまって、交換することが想定されていない感じの作りであります。

一方、日和佐のそれは、海水の流れをよくするためか、下図・土呂幕(どろまく)もないほどのシンプルさなのですが、その土呂幕部分の縁葛(えんかずら)辺りにまで支柱が通っているか?いないか?という判断において、
「堺型っぽい!大阪型っぽい!!」
と呼んでいるわけです。
これに関しての解釈も、人それぞれでして、ある人は“大阪型”だといい、またある人は“堺型”だといいます。これらの解釈のズレはおそらく、だんじりの通し柱の発想(縁葛で止まっている)が布団太鼓にも持ち込まれ、わかっているのに見誤る、といった状態になっているのではないでしょうか。

(掲載:泉州泉佐野・春日町布団太鼓)
また本来は、勾欄(こうらん)や縁板(えんいた)にも細々とした彫刻が入るらしいのですが、海対策として、あえて日和佐のちょうさは彫刻を施していないというのが、真相であると思います。
ゆえにか、学術的には、日和佐のちょうさは何物でもないのかもしれませんし、大阪で一番古い布団太鼓が1855年頃のものであることを考えても、発祥の上方に原型を求めるのではなく、それよりもさらに古い日和佐の布団太鼓にこそ、原型を見ることができるのではないか?と偉そうなことを思ったり……。
ともあれ、その特有の構造によって、確認の土台と認識がズレてしまっている感じにΣ(・∀・;)
日和佐・各町の方に、通し柱のことを尋ねると、どの部分を起点にするかによって、返ってくる回答が違って、おかしいな〜?と思っていた次第であります。
ちなみに、サンプルの写真は、本町のものでありまして、まじまじ見ると、堺型っぽいちょうさであることが判明しました!
おわり。
