先日、T様にいただいた『中村町太鼓年表』の昭和25年の欄に興味深いことがありました。
そこには、「調双」と書いて“ちょうさ?”と呼んだ記載があった、という記載なのですが、これはもしや「ちょうさ語源説」の新たな手がかりでしょうか?!
世間一般でいう“ちょうさ”の語源は、香川は豊浜町の『張子公(儒学者)の功績をたたえて「張さん」と呼ぶようになったのがはじまり』であるとか、七重車(しちじょうしゃ)の「七」がとれた呼び名であるとかさまざま。
ネットでたまたま見つけた南新桜というブログにも、張子公は正式には張載(ちょうさい)と呼ばれており、広島のそれもチョーサイ(長歳・長生きという意味も)と呼ぶらしいので、そうではないかと書かれております。
また、儒学の影響を受けた大塩平八郎が乱を起こすさいの記号として張子を用いたであるとか、門弟や残党が大塩平八郎を偲んで掛け声として使ったなど、収集がつかないありさま。
結局のところ、どれもこじつけの域をでなくて、スルーしてしまいそうな心境であります(ヽ´ω`)
一番しっくりくるのは、ただの掛け声という考え方で、徳大総合学科・文化人類研究室の資料にもそういうことが書いてあります。
少し引用すると、
文政4年(1821)の『浪速方言』に「てうさゃようさやてうさゃようさや、大坂にて、山車(だんじり)を挽き歩く時囃子の言葉なり」とあります。
延享2年(1745)作の歌舞伎『夏祭浪速鑑』長町裏殺しの脚本には「御輿を担ぎ出て来り、ちゃうサやちゃうサや、ようサようサようサと云ひながら舞台を廻り」とあります。
また、嘉永3年(1850)の西沢一鳳『皇都午睡』初編上の巻には「上方にて物を運ぶ掛声にゑいさやちょふさと云ふ」とあります。
つまり、この論文は、ただの掛け声と方言だ!ということで深く考えるなということでしょう。
確かに、「ちょうさじゃ」という掛け声があっても、布団太鼓を指しているわけではなくて、神輿だったり鉾だったりするのは不自然な感じもするでしょう。
お隣の淡路島では、どう見ても布団を重ねたちょうさっぽい屋台のことを“だんじり”と呼んでいるところもあるわけでして、一概に屋台のことではないようなのです。
1847年、弘化4年からの「太鼓割」には「ちょうさ」という文言がなく、すべてが「太鼓」になっております。
つまり、この時代にも存在していたであろう日和佐のソレは、“ちょうさ”という呼び名ではなかったのではないでしょうか?
堺からダイレクトに伝わり、年代的にも歴史のいわれにしても“布団太鼓”と呼んだ方がたぶん自然であろうと思うわけです。
ところがそこへ、同じ四国。讃岐型の歴史が降りてきて、しかも、大阪に出向くと「ちょうさちょうさ」と言っている。
大阪に憧れる徳島人からすれば、これは真似しないとアカン!となるのは当然の心理状態だったのかもしれません。
筆者にもおぼえがあるのですが、「よいやっさ」とか「ちょいやっさ」という掛け声と、差し上げを意味する「さっせー」が連続すると、方言独特の着崩しか、「ちょ〜いやさ〜せ〜」という音になり、しだい「ちょうさ」と聞こえるようになりました。
本来、日和佐の「ちょうさですよ〜、勇んで行きますよ〜」という「ちょうさじゃ〜、いっさんじゃい」は、そういうふうには聞こえにくいですし、差し上げ間際の掛け声など、「日和佐」という言葉をはぐらかしたような発音で自信なさげに聞こえる。「さーせーさーせー」は「やーれーさーせー」と変形して何だかよくわからない言葉に。
たぶん、こういう曖昧さの積み重ねと、ゆるやかな口伝での継承が言葉を取りこぼしているような感じです。
前置きはさておき、冒頭の「調双」とかいて“ちょうさ?”の謎なのですが――、
もしかしてだけど〜♪もしかしてだけど〜♪
「双調」と「調双」の読み間違いなんじゃないの〜?
というのが結論です。
双調(そうじょう)とは、雅楽の六調子のうちの表現方法なのだそうで、洋楽の「ハ長調」や「イ短調」といった感じでしょうか。
中村町は、太鼓の音にこだわる町なので、この頃も、どういうふうに演奏するか?ということを試行錯誤した結果、雰囲気だけでも!というノリが右書きを間違えて読ませたか、あえて右書きとして読んだ、もしくは、記録の清書で間違ったか、そういうミスへの誠実さが謎を深めている感じもしております。
豊原統秋著『体源抄』には、調子のイメージをこんな風に例えております。
○平調 春風に柳の倒れかかるごとくこれを吹くべし。
○盤渉調 何に例えつべくもなし。ただ静かに延べて吹くべし。いずれよりも、この調子を延べて吹くべし。
○黄鐘調 銚子に澄みたる酒を入れたるを見るがごとし。
○太食調 板敷きの下にてコトヒノ牛の角突きをするがごとし。
○壱越調 明障子に砂をうつがごとし。
○双調 秋草の花咲乱れたる中に幽玄なる男、大口ばかりにて優し気ながら刀を差し、柄を握りて立つごとく吹くべし。
なるほど、いわれてみれば、中村町はそういうイメージで叩いているのでしょうか?いないでしょうか?
また、これらの調子は「陰陽五行(いんようごぎょう)」にも関わりがあるそうで、それぞれに対応する季節、音、色、方角などが事細かく決まっているそうです。
ちなみに、双調は春・東方・木音・青色。ということらしく、中村町のはちまきが青っぽいのは考えすぎでしょうか(+o+)
ともあれ、おそらく、張さんとは明らかに関係のない地域でも「ちょうさ」という感じの掛け声や屋台があることを勘案すると、ただの掛け声のような気がしてなりません(=_=)
この辺は、「百一匹目のサル」ということで収まりませんかね?
