本日は、中村町のT様から貴重な資料を送っていただきました!
その中の写真に、ぜひとも見てみたかった初代・戎濱とかの有名な新調まもないカラフルな布団の写真まで!!
掲載許可をとってないので写真は載せず。ご了承くださいm(__)m
いや〜、実に衝撃的な姿であります。
古い写真なので、細かなところまでは確認できなかったのですが、初代は“大阪型”のように見えました。形は奥河町っぽくて旗が左右逆だったようです。
そのためか、“違い鷹の羽”の紋が“丸に右重ね違い鷹の羽”になっているのですが、やはり新調などのさいに左右が入れ替わり、そういうことは適当でよかったのかもしれません。
よく見えないのですが、シルエットの彫刻は、かなりスゴイっぽくて、戎町や西新町もビックリの出来栄えだったのではないでしょうか?
カラフルな時代は、上から布団が緑→黄色→赤→白→青。それを赤の布団締めとトンボで締めているわけで……、反対されたのもわかります(ToT)
写真では、旗が日章旗だったので、やはりいろんな意味で改革とはっちゃけと黒歴史(汗)が重なった時代だったようです。
まあ、新調後しばらくは、業者がカスタマイズに規制をかけるそうなので、ある意味、しかたがなかったのかもしれません。
他にも、中村町の年表もいただいて、いろいろと試行錯誤して現在の形になっているのだと時代の変遷を垣間見ることができました。
年表を見ていて気になったのですが、戎濱はいつ火災したのか?ということ。
日和佐八幡神社のホームページには、昭和41年と書かれているのですが、年表には43年とあります。
「どうせ書き間違いだろう……( 一一)」
とか思っていたのですが、41年も戎濱は不参加とある。理由は不明。
一応、年表を疑ってみたのですが、戎濱の方と保存会会長も43年だとおっしゃっていたので、たぶん43年火災だったのでしょう。
とすると、この2年のブランクは一体なんぞや??
謎が謎を呼ぶ、ちょうさの歴史なのでありました。
ご存知の方、いらっしゃいましたら情報よろしくお願いしますm(__)m
