忙しい 気がするだけの 師走かな
周りはせわしなく振舞っているのに、そうでもないかなぁ?と密かに疑問に思って、忙しいフリをしている皆さま、こんにちわ。
本日は、情報提供者を探しての投稿になります。
何を知りたいのかといいますと、日和佐・戎濱(恵比須浜)のちょうさが新調のさい、マイナーチェンジしたのか?はたまたフルモデルチェンジしたのか?ということ。
独自の聞き取りでは、旧型を引き継いでほぼ同じであることは間違いないようなのですが、ふとん下の雲板部分の彫刻の整合性がとれなくてう〜む?といった感じです。
モデルというのは、ちょうさの“型”のことでして、日和佐のそれは、堺型と大阪型が混ざり合ったような雌太鼓(仕上がり)になっているのは、みなさま周知のことと思います。
見分け方としましては、装飾が中心か彫刻が中心か?ということと、ふとんの角度やふとん下の雲板、彫刻の題材、四柱の長さなどがあって、各町、大阪型に近いように思います。

戎町と西新町に関しては、雲板の部分が屋根っぽく、堺型の大阪仕様な雰囲気ですが、下にもぐってみたら四柱が地面まで通っていたので堺型といえるでしょう。
(掲載:祭道楽のだんじり見聞録!)
皆さまの住む町のちょうさは、何型でしょうか?
余談はさておき、戎濱なのですが、この町のちょうさは堺型でも大阪型でもなく“淡路型”でして、淡路型の特徴としましては、ふとんの下に薄い板を数枚重ねたようなタガヤがあります。

初代の戎濱は、もも太郎だったか金太郎が見事に掘られたちょうさだったらしく、戎町や東町と同じく漁師町としての対抗意識が強かったのではないでしょうか?
とすると、自ずとそのようなふとん台(堺型)になっていたはずで、聞き取りのように単なるリメイクでは済んでいないと思うわけです。
つまり、本題として、戎濱が新調のさい型をいじったのかどうかが私――、
「気になります!」←千反田えるっぽく
ということで情報をお待ち申し上げます。
