
さて今回は、歴史を実質か名目どちらから見るかというお話し。
桜町は、ご存知のとおり西新町からちょうさを譲り受けて今年で70年になります。おめでとう(゚∀゚)!
言わずもがな、日和佐では新参者の部類であります。
ところが、使っている屋台の年齢はというと、享和四年(1804)製で今年で212歳になります。
戎町の屋台が大正10年に作り変えたという話があるため、日和佐では東町に続き、桜町の屋台が二番目に古いということになるでしょう。
しかもこれ、谷屋(戎町)からもらったモノという口伝が年寄りの常識としてあるため、真に受けますと、享和四年(1804)より古い可能性も。
なんという物持ちの良さ!!
一方、サバを読んでしらばっくれるうるふ様(日和佐八幡神社)の年齢はというと、諸説あって本当のところは、わかりません^^;
ご存知、式内社の和耶神社が前身でして、長らく羽浦神社と「ウチが元祖だ!」と争っております。
ともあれ、由緒では天正6年(1351)と書かれているので、その辺りには、日和佐にいたと考えられます。
日和佐八幡神社のホームページには、天平6年と書かれていますが、たぶん「天平」と「天正」の打ち間違いかと。。。
そんなこんなで、天正6年に日和佐の西河内にやってきて、その後、永正17(1520)に現在の位置に引っ越した感じでしょうか。
境内楠の推定樹齢も500年といわれるのを鑑みても、お引越し500年説は有力であります。
けれども、本当に式内社であったならば延長五年(927)には既に鎮座していたかもしれず、けっこうスゴイことではありませんかね?
