わりと当たり前なこと
先日、娘さんが日和佐の秋祭りの応援隊?に参加予定だという某方から祭りに関して「注意することはないか?」と訊かれた。
このサイトの作者は、日和佐の秋祭りに直接かかわっていないし、まして日和佐に住んでもいない。
だから、そんなこと訊かれても・・・などと思いつつ、女の子は「ちょうさは担がない、触れてもいけない」と当たり障りのない話をしました。
すると、小さな女の子は触ったり乗ったりしているのはなぜか?という話になったので、幼児は男も女もないし、そもそも氏子でもないからええじゃないか\(-o-)/
と、ふんふんなるほどと、話は終わった。
そういえば、世の中にはお神輿や太鼓屋台を女が担いではいけないことがどうしても理解できない人たちがいて、それをことさら差別だの平等だのとジェンダーフリーにて騒いだりする。
この漫画の作者は、決して男尊女卑の発想はないし、日本は長い歴史の感覚からして母系国家であるとも思っているくらいであります。
染色体的にいっても、男は女の出来損ないで、股の付け根から飛び出したものを見ても明らか(-_-;)
けれども、男と女は同じ人間である以前に、別の生き物で、生き方に役割があるから、その役割をフラットにすることが善であるとは思えないのであります。
女が神輿に近づくことを「平等」と呼ぶ人たちは、おそらく「画一」主義者だったりするわけで、そういう人たちはえてして、比べられないものを平準化に努め、比べるべきものを価値の相対化でお茶を濁すような、バランス感覚がちょっと乏しかったりする。

昔から女人禁制とするものには、女が触れると汚れるとか、カミ様が嫉妬するとか言われていますけれど、やはり体力的なものから母体保護の観点が主たるものだと思います。
これらを安易に伝統などとは呼んだりしませんが、伝統とは立ち止まって振り返り、あれは何だったか?と過去に問うてみることだと思う次第で、それを過去に問うならば、やっぱり神道の感覚からして、本来に逆らうと良くないことが起きるという歴史の叡智をそこはなとなく体現しているだけでOK牧場なのであります。
いうなれば、こういうバランスの何たるかを示唆してくれているのが伝統だったりするのかな(ΦωΦ)
権利というのはルールによって、なすことを認められている自由の可能性でありますけれど、そもそも伝統にはルールなどないわけですから昔からやっているあれこれに平等意識を持ち込むほうが不思議な感じなのであります。
ムズカシイことを言えば、布団太鼓とは、五穀豊穣を祝うもので、藁を積み上げ、田んぼを表現している屋台であります。そして、田んぼというフィールドにはパワー(力)が必要で、それは元来男の役割で、それは「男」という漢字をみたら一目瞭然。
一方、穀物をカミ様に捧げるというのは大昔から女の役割でして、アマテラスの食事係のトヨウケノオオカミやお稲荷さんのウカノミタマノカミ、徳島のオオゲツヒメだって女のカミ様なのであります。(※全員、穀物神)
日和佐にかぎらず、ちょうさ(布団太鼓)にメスが多いのは、五穀豊穣を祝い感謝する女を男が担ぐという意味合いからして、疑問のはさみどころのない形なのであります。
まあ、心情的に、メスの太鼓からしてみれば、女に担がれるよりも男に担がれたほうが気分がいいと思います。
長々と書いてしまいましたが、こんなことは日本に住んでいる者の“コモンセンス”として、どうにかこうにかご理解ください(TдT)
では、おわり。
そのうち配布予定のポストカード。

